何万とある振り返りの一つ。
一年が経ったからと言って、新しい日々が始まるわけではない。今日も昨日までの日々の続きに過ぎない。大変な思いをされている方の、悲しみも、腹立たしさにも、今日で区切りがつけられるわけではない。
ただ、震災発生から1年、ふり返りを行うには、確かにいいタイミングでもある。申し訳ないが、少しだけ、お付き合いください。
あの日僕は、横浜にいた。
入試の期間でもあり、担当の事務の方と、若手の教員とで、事務室で立ち話をしていた。
そこに、長い長い揺れ。
皆、凍り付いたようになっているので、階段を降り、建物の入口の扉を開けに行った。
確かそんな、始まりだったと思う。
修復作業のスナップ
どもです。先週くらいから職場の建物内部の修復作業が始まりました。手ぶれがあったりであまりいい写真はないのですが、生まれて初めて見た不思議な光景だったのでupしておきます。

階段室上部の壁。
2011落ち穂拾い
うちは皆、元気に生き延びての年末です。保育園児二人の父親として、しんどいことも多かったけど。
一時物流が崩壊し、水が買えず、県内の水道水からも、ありがたくないものが検出されて。子どもに、「ぎゅうにゅう、ないの?」と聞かれて、「ごめんね、ないんだ。」と答えた、ただそれだけのことが、とても辛い記憶になっていたりする。トルコの地震のニュースで、「被災地は冷え込みが厳しく」、というフレーズが聞こえただけで、急にこらえられなくなって、自室に駆け込んで泣いたことも。
のんきに生きてきて、親になって、そして、屈辱、ということばの意味を初めて知ったような、そんな気がする。自分じゃ状況を何も変えられない、自分の力では何も解決できない、だから、屈辱なんだと。
でも、ぼくは、うちは、それだけだ。
歯を食いしばるでもなく、無理に笑うでもなく。いつも通り、まとまらない何かを少しだけ。
夾竹桃。
横浜に通うのは、週一度になった。
秋葉原駅で乗り換え、最近は面倒だからもう、往きは東海道線への乗り換えはしない。ずっと、京浜東北線で横浜市内まで行く。
東海道線と違い、目の前に杖を突かれた老紳士とその奥様が立たれて目が合う前に席を譲る(というかその場を逃げ去る)、というようなことになる確率が高い気もするが、ただ、たいてい駅の乗り降りの都合で先頭車両に乗っているから、そのまま運転席の後ろまで行き、そこから、複数の路線が並行して走る光景を眺めているのも、悪くない気がしている。






